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東北地方太平洋沖地震について

まず、今回の災害で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 

そして更新遅れてすみません。

遅れた理由はタイトルなどでわかると思います。

今回はこの数日起こった出来事、考えたことを記事にしたいと思います。

 

ちなみに稼働記事ではありません。稼働記事は当分の間自粛させていただきます。

私の真面目な意見を見たい方だけ見てください。

また、これは一個人の意見です。

なるべく言葉を選んで書いていますが、この文章により不快になる方もいるかもしれません。

そこのところをご理解した上で、この記事を読んでください。

2011年3月7日、私は三重にある実家に帰りました。実家に帰り、家族と話を色々して日々を過ごしていました。

 

2011年3月11日、この日は両親は仕事、祖父は出かけ、祖母と弟と私は家にいました。

そして午後14時46分。

私は自分の部屋にいました。すると、「ウゥゥゥゥー!ウゥゥゥゥー!」とサイレンが鳴り「津波警報が発令されました!海沿いの方は避難してください!」という広報が数回、流れました。

「何事!?」と思い、テレビのある部屋に行くと宮城県で震度7の地震が発生したとのこと。

実家は川沿いです。川と海の境目に近い所なので、一応津波を警戒して、弟と一緒に色々と準備。

・・・最初は、ニュースで震度7と聞いた時、「大変だ、現地の人は大丈夫か・・・?」程度しか思っていませんでした。

しかし、数十分後、その考えがなくなり、正直、言葉が出ませんでした。

私が最初に見た津波の映像は漁港の市場の映像でした。

徐々に水位が上がってきて、数分経つともうコンテナや車がいとも簡単に流れ、最後には電柱も倒れて、水位は市場の天井を悠々と超えていました。

 

その後も、ニュースをずっと見つつ夕飯の準備をして、家族が集まるのを待ちました。

まず祖父が帰ってきました。どうやら地震で、こけて足を打撲したそうです。歩けないので荷物とか色々手伝いしました。

次に両親が帰ってきて夕飯。食事中の話は当然、地震の話ばかり。

 

食事後、新しい津波の映像を見ました。名取川の津波の映像。私の中で一番恐ろしいと思った映像です。

ヘリで上空から撮影している映像で、物凄い勢いで津波が押し寄せて、ビニールハウスがいとも簡単に飲まれ、数百メートル先には道路に車がいて、車が逃げようとしているが津波のスピードが速すぎて飲まれてしまう。

この映像を見た時、思わず言葉を失いました。これが日本なのか?そう思いました。

 

その夜。不安だったので、部屋でPCをつけて、スカイプで、現在豪州に留学している静岡出身の友人とチャットをしつつ、NHKのニュースをずっと見ていました。

この夜、気仙沼市では大規模な火災が発生。その光景は火の海。まさに火の海でした。

 

 

12日、13日は家族全員、家でニュースを見ながらそれぞれ過ごしました。この間に弟は自宅の方に帰省。私は情報を色々仕入れつつニュースをずっと見ていました。

 

 

14日、足を打撲した祖父を病院に連れて行くため祖父、祖母を連れて隣町の病院に。幸い骨に問題はなかったため数週間で治るとのこと。

 

 

15日。余震もおさまらない上、原発も被害が拡大している最中、私が一番恐れている事態が起こりました。

静岡県東部で起こった震度6の地震です。

スカイプで友人と話をしていました。「これはもしかしたら東南海地震も起こってしまうのではないか?」と。

この数日、地震の動きは・・・

三陸沖→茨城→新潟・・・

という感じで連動して発生していました。

そしてこの静岡での地震。

本当に起こってしまうのではないか、とは思いましたが、幸い、この地震で東南海地震が発生する可能性は低いとの事でした。

震源地が予想していた位置と違う点と、東南海地震では発生するプレートが違う点から発生する可能性は低いのだそうです。

とはいうものの、やはり近くで地震が起こったら、もしかしたら・・・という考えは出てきます。

私の実家は、東南海地震で、被害が大きいといわれる地域で、もし今回のような津波が来たら逃げられるかわからない。

もし東南海地震が起きたら、足の不自由な祖父、そして祖母を助け、家族全員無事でいられるか、そのためにはどうすればいいか、そのことばかりを考えていました。

その後は、足の不自由な祖父の代わりに車を運転し、色々と手伝いました。その間睡眠はロクにとれず、夜中はずっと起きて、他の人が起きている時間は寝てという生活を続けていました。

 

数日後、私は自宅に戻らなければいけないので帰ることに。

情けないことに、私はまだ大学に通う身です。

本当ならば、色々不自由な祖父母の実家に住み、働きながら家族を支えていかなければならないのに。

それができなくて悔しい。

もちろん、今、何もやらずに生きているわけではなく、将来の事を色々考えて行動しています。

しかし自分の力量ではなかなかうまくいかず、グズグズしています。

今、自分が家族に貢献出来る事は、大学を出て職を得る事。

そのために頑張ろう、という気持ちをもち、実家を後にしました。

 

 

・・・と、これが実家での生活、その生活で考えていたことでした。

私も地震ではありませんが、過去に東海豪雨という災害に遭い、町は水に浸かり、学校に避難して一夜を過ごしたことがあります。

ちょっとその時撮った写真を。

Nec_0018  

 

 

 

 

 

これは徐々に水位が上がってきて・・・

マズイと判断したので学校へ逃げる時に撮った写真です。

学校の一階部分がほぼ水で浸かってます。

Nec_0016  

 

 

 

 

 

これが一番水位が高かった時の写真。

ココと書かれた矢印の先の白い横の棒があります。

これは・・・

Nec_0012  

 

 

 

 

 

 

水が引いてきた時の写真。

さっきの白い横の棒はゴールポストの上の部分でした。

Nec_0013  

 

 

 

 

これも水が引いてきた時の写真。

真ん中辺りに鉄板みたいなのがありますが・・・

車の上の部分です。

この時、クラクションが壊れてずっと鳴っていました。

避難した時は、電気も点かない中、何とか食料などを分けて、怖がっているお年寄りや子供に大丈夫、大丈夫とお互い勇気づけ合い一夜を過ごしました。

一夜明けると自衛隊の人が救援物資を運んでくれたりしたおかげで食料や水には困ることがありませんでした。あの時は本当に救援がきてくれて良かったと思ってます。

しかし、その後は大変でした。家の一階は水に浸かり、廊下には泥が入り、畳がひっくり返って、いろんなものが滅茶苦茶になっていました。

その後、数日、親戚の家に避難して、家の修復を行い現在は何とか元通りになっています。

 

・・・水害でさえ、このように恐ろしい思いをしたのです。地震、津波で家を失い、避難している方々の心は限界を迎えているでしょう。

今私たちに出来る事は、ボランティア、救援物資、義援金、節電くらいしかできません。

ボランティアは、自分で自分の世話をできる人でなければできないので、実質、救援物資を送る事と、義援金、節電のみです。

救援物資は各県がまとめて送るので、個人で送ると迷惑になるので、送る際は各県のHPなどを見てそれに従いましょう。

義援金は今でも行っています。少しでも力になりたい、というのならば是非行ってください。

節電は、身近なもので無駄に電力を使っているところはないでしょうか?それ一つ節電するだけで大きく変わってくるはずです。

周りはやっていないし、別に協力しなくていいかな?なんて考えはやめましょう。

一人一人が心がけることで確実に良い方向に行きます。

「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」

というラグビーの合言葉があります。

「一人は皆のために、皆は一人のために。」

今大変な状況だからこそ、お互い協力し合うことが重要なのです。

この言葉をしっかりと頭に入れておいてください。

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